8年

3月15日
毎年この日が近づくと、
様々な記憶、感情が体中を駆け巡る。

父が亡くなって、8年経ちました。




8年前のこの日のことは
今でも鮮明に覚えている。

二月中旬から末期ガンの父の元へ通っていたが、
離婚後、母の前で父親はタブーになっていたから
隠れて病院へ言っていた。
しかし、死ぬ前に父にあっておいた方が良いのではと思い、
この日の前日、姉と母へ手紙で父のことを伝えた。
翌朝、起床した私に母が「今日の夕方、喪服を買いに行くよ」と言ってきた。

「春が好き」と言った入院中の父に桜を見せようと、
実家の近くの公園で早咲きの桜の枝を折って、
母との待ち合わせ場所に向かった。

購入後そのまま病院へ向かうつもりだったから、
母との別れ際に私と病院へ来るか誘ってみた。
断られた。

一人で父の待つ病院に到着。
桜を見せようと父に声をかけた。
数日前からほぼ寝たきりだったが、
この日は私の声に反応するまでに数秒かかっていた。
もう起き上がることも、声を発することもなく、
目線のみで意志疎通。

この日は病院に泊まる予定だったから、
ジャージに着替えて夜ご飯を買いに行こうと病室のドアに向かったが
何となく気分ではなくなって父の横に戻った。

しばらく横たわる父を観察していた。
すると突然廊下からバタバタと足音が近づいてくると思ったら、
数人の看護師が病室に駆け込んできた。

何が起こっているのかわからなかった。
看護師が父を揺すりながら何度も大声で呼び掛けている。
「ご家族に連絡を」の声を聞いて、危篤なんだと気づいた。

「姉に連絡しなくては…」
携帯を手にするも震えて床に落とし、
中々上手く扱えなかった。
看護師さんに「大丈夫か」と聞かれ、
正気に戻る間もなかったが、
何とか姉に電話を掛けれた。

そこからは私は姉がここへたどり着くまで
「絶対に父を逝かせまい」と
父の手を掴み、「お父さん」と泣き叫んでいた。
と思う。

叔父家族が病室へ到着。

「お姉ちゃん早く、早く。早く来て」
心の中でずっと呼んでいた。

叫びすぎて、分けが分からなくなっていたが、
ドアから姉が駆け込んできた姿を確認できた。
体の力が抜けた。

そこからはもう、私は泣きじゃくっていた。

しばらくして、
担当医師に父はもう亡くなっていると告げられた。
いつ、どのタイミングだったのかは分からなかった。
ずっと目が合っていたから。
父の体はとても熱かった。
心臓が止まってからしばらくしても熱かった。


父がおうちへ帰る準備をするため一度病室を出た。
鼻が詰まりすぎて、息苦しかった。


父と父の家へ帰ったときにはもう日付は変わっていたと思う。
非常に疲弊していたのに、しばらく眠れなかった。
すると、温かくて大きな手に頭を撫でられたかと思うと眠りについていた。
父に「お疲れさん。ようおやすみ」と言われたようだった。










あれから、8年。
私はずっと、今も昔もこの先もあなたの自慢の娘です。
今夜は久々に線香をたくよ。